2025年7月の参議院選挙を前に、各政党・政治家が公約を打ち出しています。経済、社会保障、子育て、防災、税制など、さまざまなテーマが掲げられていますが、それらの多くが「本当に社会課題の解決に向かっているのか?」という問いを立てると、疑問が残るのが実情です。
社会課題を解決するために必要なのは、政策を列挙することではありません。問題の本質を見極め、適切なプロセスを経て、はじめて効果的な政策が生まれます。
本コラムでは、政策実行の前に必ず踏むべき4つのプロセスを通して、日本が抱える社会課題の「解決できない構造」について考察します。
目次
定性的な公約が溢れ・手段が目的化している現状
日本の政治では、選挙のたびに政治家が自由に公約を掲げます。しかし、その多くは極めて定性的であり、曖昧なスローガンの羅列にとどまっています。
- 力強い経済の実現
- 子育て支援の推進
- こどもまんなか社会の実現
- 災害対策の推進
- 公平な社会の実現など
これらは一見聞こえはよいものの、誰のために、どのような課題を、どの程度まで解決するのかが示されていません。結果として、公約が単なる人気取りの手段となり、社会課題の本質が見失われてしまいます。 さらに、手段そのものが公約として提示されているケースも目立ちます。
- 物価高対策の現金給付
- 消費税の減税/増税
- 教育の無償化
- マイナンバーカードの普及/紙保険証の存続など
これらは具体的な政策であるように見えますが、本来は目的を達成するための手段に過ぎません。
たとえば、物価高対策の現金給付や消費税の減税は一時的な物価高対策の方法にすぎず、本質的な経済対策の政策ではありません。社会課題の本質を見極めずに手段を目的化してしまうことが、日本政治の構造的な問題といえます。
社会課題解決のために必要な4つのプロセス
社会課題の本質的な解決には、次の4つのプロセスを丁寧に踏むことが必要です。
発見 → 相対化 → 定義 → 定量化
このプロセスを飛ばして政策を実行してしまうと、政策が目的化され、「何のために、誰のためにやるのか」が曖昧になり、社会課題の解決にはつながりません。
では実際に待機児童問題と米不足の問題を例にこのプロセスを考察します。
社会課題の発見
まず最初に必要なのは、「誰が」「何に困っているのか」という社会課題そのものを発見することです。
例:待機児童問題
→「子育て世代」が「保育施設の不足」に困っている。
例:米不足
→「消費者」が「米が手に入りにくい」状況に困っている。
当たり前のようですが、この段階を飛ばして政策論に入ってしまうと、そもそも何を解決すべきか見失うことになります。
社会課題の相対化
発見した課題を、一方向の視点ではなく多角的に捉え直すことが必要です。このプロセスが抜けると、誤った評価指標(KPI)の設定や、部分的な改善は行えても、本質的課題解決を見誤る可能性があります。
例:待機児童問題
待機児童数が減っている自治体があるとしても、その背景に出生率の低下があるとすれば、根本的な問題(少子化)は解決していない可能性がある。
→「待機児童数の減少=待機児童問題の改善」と早合点してしまうと、少子化という本質的課題を見誤る恐れが生じる。
例:米不足
消費者にとっては「安価で米が手に入る」ことが望ましいが、米価が下がれば農家の収入は減少し、農業離れが進む可能性がある。また行政は有事の際に食料の安定供給体制を構築する必要がある。
→米の価格という一つの指標だけで考えず、生産者・消費者・行政という多面的な視点が必要。
社会課題の定義
相対化した課題をもとに、「課題が解決した状態」を明確に定義します。
例:待機児童問題
→「出生率を維持しながら、待機児童数を減らす」
例:米不足
→「米価の急騰を抑えつつ、安定供給を維持し、農家の所得を上げる」
→「食料自給率を維持・向上させる」
社会課題の定量化
最後に、課題を具体的な数値で表し、施策の効果を測定できるようにすることが不可欠です。定量的に評価できなければ、その社会課題が解決・改善したかどうか客観的に評価することはできません。
例:待機児童問題
→出生率:1.3を維持
→待機児童数:100人 → 50人に減少
例:米不足
→米価上昇率:実質賃金の上昇率(1.0%)以内
→米農家の所得:年2%上昇
→食料自給率:50%を目標に
これらのKPIはあくまで例ですが、それぞれの当事者のKPIを達成して、はじめて社会課題が解決した状態と言えるのではないでしょうか。
待機児童問題の問題で言えば、実際に待機児童の数が減っている自治体が出てきています。しかしそれは必ずしもその自治体が実施した政策が成功したことを意味するわけではありません。なぜなら、出生率の低下も待機児童数の減少に影響を与えうるからです。 政策の効果を適切に評価するためには、待機児童の絶対数だけでなく、その自治体の出生率の推移も合わせて分析することが不可欠です。これにより、待機児童対策が本当に機能しているのか、それとも単に出生数の減少によって見かけ上の待機児童数が減っているだけなのかを判断できます。
また米不足の問題は、単に米価の変動として捉えるべきではありません。より本質的な問題として、農業の持続可能性と食料安全保障という二つの重要な側面を考慮する必要があります。 もし米価のみをKPIとして設定してしまうと、農家の経営が立ち行かなくなり、結果として農業の担い手不足を深刻化させる可能性があります。これは、将来的な米不足をさらに加速させる要因となりかねません。 ひいては、国内での食料自給率が低下し、日本の食料安全保障そのものが危機に瀕する可能性も秘めているのです。米不足問題は、短期的な価格変動だけでなく、長期的な視点での農業振興と国家の安全保障に関わる複合的な課題として捉える必要があるでしょう。
政策はあくまで「手段」
税制の改正、現金給付、教育の無償化、憲法改正、官庁の創設などはすべて、社会課題を解決するための「手段」に過ぎません。手段そのものが目的化されると、「なぜそれをやるのか」という根本が失われてしまいます。
まず必要なのは、社会課題の定義と定量化を行い、有権者と課題の全体像を共有することです。そのうえで、「どの手段が最適か」を議論すべきなのです。
現在の日本政治では、この最初のプロセスが抜け落ちたまま、手段ばかりが並べられているという問題があります。これが、多くの施策が期待通りの成果を生まない原因の一つだといえるでしょう。
まとめ:社会課題の「構造」と向き合う政治へ
社会課題を本質的に解決するには、「よさそうな政策」を打ち出すだけでは不十分です。
- 誰が何に困っているのかを発見し
- 多面的な視点で課題を相対化し
- 望ましい状態を定義し
- それを定量化する
この4つのプロセスを経てはじめて、的確で持続的な解決策が見えてきます。
選挙の時期こそ、私たち有権者一人ひとりが、提示された公約や政策が「どんな社会課題を、どうやって解決しようとしているのか?」を見極める視点を持つことが求められています。
手段の華やかさではなく、構造的な問題と向き合う姿勢が、これからの政治にこそ必要とされているのではないでしょうか。