2025年1月28日、埼玉県八潮市で発生した道路陥没事故。走行中のトラックが突然崩落した道路に飲み込まれ、運転していた男性が命を落としました。
この痛ましい事故は、決して他人事ではありません。実際、全国各地で同様の道路陥没が相次いでおり、私たちの日常は見えないリスクと隣り合わせです。
目次
- 老朽化するインフラ──「当たり前」の終わり
- イノベーションか、負担増か、それとも再編か
- 優先順位を問い直すとき
- 「行政がやること」は本当に他人事か?
- 社会課題を「自分ごと」として捉える
- まとめ:インフラの未来は、私たちの選択にかかっている
老朽化するインフラ──「当たり前」の終わり
こうした事故の背景にあるのは、公共インフラの老朽化です。道路や橋、上下水道など、かつて「当たり前」に存在し、安全を支えてきたインフラの多くは、高度経済成長期に集中的に整備されたもので、今まさに更新期を迎えています。
ところが、日本は人口減少の時代に突入しており、これまでと同じ水準のインフラを維持するためには、一人ひとりの負担が今以上に大きくならざるを得ません。「当たり前」を支え続けるには、現実的な対策が求められています。
イノベーションか、負担増か、それとも再編か
この課題に立ち向かう方法は、大きく分けて3つあります。
ひとつは、低コストで高品質な維持管理を可能にするイノベーションを起こすこと。たとえば、インフラ点検の自動化や、耐久性に優れた新素材の活用といった技術革新は、大きな助けになるでしょう。
しかし、イノベーションがすぐに実現できるとは限りません。その場合、私たちは国民一人ひとりの負担を増やすか、あるいはインフラの再編・縮小を進めるという選択を迫られることになります。利用頻度の低い施設や路線を見直し、資源を本当に必要な部分に集中させるといった判断も必要になってくるでしょう。
優先順位を問い直すとき
限られた財源と人手の中で、何を守り、何を縮小するのか──この議論は避けて通れません。すべてを維持することは不可能な時代に入りつつあります。必要性や安全性、地域性といった観点からインフラの再評価を行うことが、これからの社会には求められます。
「行政がやること」は本当に他人事か?
「行政がきっと何とかしてくれる」と思っている人は多いかもしれません。しかし、道路陥没事故のように、私たちの命や安全に直結する問題を他人事にしていてよいのでしょうか。
もしも、明日、あなたの家族や友人、あるいはあなた自身が事故に巻き込まれたら——そのとき、「なぜもっと早く対策が取られなかったのか」と悔やんでも、もう手遅れです。行政課題はすなわち政治課題であり、それは私たち市民の生活に直結しています。
社会課題を「自分ごと」として捉える
重要なのは、こうした課題を「自分にも関係のあること」として捉える意識です。行政任せではなく、市民一人ひとりが関心を持ち、声を上げ、議論に参加することが、社会の健全な進化につながります。
インフラの老朽化は、遠い将来の話ではなく、今すぐ目を向けるべき問題です。誰もが安心して暮らせる社会を実現するために、「他人事」から「自分ごと」へ。私たち自身の意識と行動が、未来の安全を形づくるのです。
まとめ:インフラの未来は、私たちの選択にかかっている
道路陥没事故は、決して特殊な出来事ではありません。インフラの老朽化は全国各地で進行しており、事故はいつどこで誰に降りかかってもおかしくない現実です。
人口減少が進む日本では、これまでと同じレベルのインフラを維持すること自体が大きな課題になっています。イノベーションで解決を図るのか、それとも負担増や再編を受け入れるのか。私たちは今、その分岐点に立たされています。
行政に任せきりにするのではなく、社会課題を「自分ごと」として捉える姿勢が求められます。暮らしの安全や未来の社会構造に関心を持ち、議論に参加し、声を上げることが、よりよい社会の第一歩となるはずです。