2026年2月8日に衆議院議員総選挙が行われました。結果は、自民党と日本維新の会で全体の3分の2を占める結果となり、与党の圧勝となりました。
背景には、「高市旋風」と言われた高市首相の人気や、野党の乱立や再編がありました。
今回のコラムでは、個々の政党や政策の良し悪しではなく、この国でたびたび起こる「風が吹く」現象がどのように起こるのか、そのメカニズムについて考えたいと思います。
目次
日本社会における空気の発生メカニズム
山本七平は著書『「空気」の研究』(1977年)において、日本社会を支配しているのは法律やルールではなく「場の空気」であると述べています。
ここでいう「空気」とは、その場の雰囲気や、「なんとなくこうするべきだ」という見えない力のことです。 日本では、この空気に逆らうことが難しく、ときには強いプレッシャーとして働きます。
日本では、会議や議論の場で「おかしい」と思っても言い出せなかったり、重要な意見が無視されてしまったりすることがしばしばあります。
山本は、組織の意思決定には「論理で決まる場合」と「空気で決まる場合」があり、実際には空気のほうが強く働くことがあると指摘しています。
そして空気の発生には、“絶対的な何か”が存在します。 それは人であったり、物であったり、企画や政策であったりします。
例えば職場で考えてみます。
あるプロジェクトに多くの人や予算が投入されているとします。しかし途中で、うまくいかない兆しが見えてきたとします。
そのとき、あなたは「もう一度一からやり直そう」と言えるでしょうか。
これまでにかけた時間やお金が大きいほど、「今さらやめられない」という気持ちは強くなります。
反対意見があっても、続ける理由のほうが優先され、結果として止められなくなることがあります。 このとき、プロジェクト自体が“絶対的な何か”となり、反対意見が言い出せない・通らない「空気」を生み出します。
同じことは政治でも起こります。
例えば現在の政治状況でいえば、高市首相に対する評価にも見られます。
支持する人たちはその判断を強く肯定し、反対する人たちは強く否定する傾向があります。
本来であれば、どんなに応援していても間違いは批判すべきであり、どんなに嫌いでも正しいことは評価すべきです。
しかし空気の支配が強くなると、そうした判断が難しくなります。 高市首相の支持側ではその行動を無条件に肯定し、反対側では無条件に否定する、といった空気が生まれてしまいます。
これが空気の持つ問題です。
空気が風に変わる瞬間
まず、政治における風を考える前に、現実の空気と風について考えます。
太陽によって温められた空気は上に昇り、冷えた空気は下に降ります。 このとき、空気の量や圧力に差が生まれ、その差によって空気が横に動きます。
これが風です。
つまり、風は「空気の差」から生まれます。
これを社会に当てはめて考えてみます。
社会における空気は、“絶対的な何か”から生まれます。 そして、その空気はSNSやテレビ、ニュースなどによってどんどん温められ、広がっていきます。
しかし、空気は一つだけではありません。
ある空気が強くなると、別の空気は相対的に弱くなります。 そして、この差が大きくなればなるほど、強い「風」が生まれます。
今回の選挙でいえば、 高市首相への期待という「温められた空気」と、 野党に対する不安や不信という「冷めた空気」が同時に存在していました。
この2つの差が大きくなったことで、 「高市旋風」という風が生まれたと考えられます。
つまり風とは、単なる人気だけではなく、「空気の差が動き出した状態」だと言えます。
そしてこの差は、きっかけ一つで簡単に変わります。 だからこそ、風もまた急に止んだり、逆向きに吹いたりするのです。
空気と風と政治の構造を認識する
高市政権はまだ始まったばかりで、現時点では政策の評価は十分にできません。 今は「期待」という空気が広がっている段階だと言えます。
しかし、この空気は永遠に続くものではありません。 一つの失政や失言によって、一気にしぼんでしまう可能性があります。
私たちがすべきことは、空気に流されるのではなく、是々非々で判断することです。 そして同時に、「今、自分が空気に影響されていないか」と一歩引いて考えることも大切です。
空気は気づかないうちに人の判断に入り込みます。
周りがそう言っているから、雰囲気がそうだから、という理由で判断していないかを、自分自身で問い直す必要があります。
また、今どのような風が吹いているのかを正しく理解することも重要です。
なぜその風が生まれているのか、どんな空気の差があるのかを考えることで、冷静に状況を見ることができます。
この国では、たびたび選挙で風が吹きます。
選挙で風が吹くこと自体は、民意のダイナミズムであり否定すべきものではありません。
大切なのは、その風に流されているのか、それとも自分で判断しているのかという点です。
風に流されて思わぬ方向に進んでしまうのか。
それとも風をつかんで前に進むのか。
そのための「自分なりの判断軸」を、国民一人ひとりが持つ必要があります。
空気の存在を知り、必要であれば距離を取り、風の流れを読みながら政治を判断する。
それが今、求められていることではないでしょうか。