選挙が終わるたびに、テレビやネットメディアでは「次に誰が首相になるのか」「どの党とどの党が組むのか」といった話題が飛び交います。 しかし、こうした報道に踊らされることで、私たちは本来の「政治の目的」を見失ってはいないでしょうか。
政治とは、目立つための舞台ではなく、社会の課題を一つひとつ解決していくための現実的な手段です。 それにもかかわらず、政治家もメディアも、そして私たち有権者自身も、「誰がどう振る舞うか」ばかりに注目し、「何をどう解決するのか」という本質的な視点が欠けているように感じます。
このコラムでは、現在の政治の構造的な問題を明らかにしながら、私たちが何を見て政治を判断すべきかについて考えてみたいと思います。
目次
政治家になることが目的化してしまった政治の現実
参議院選後、メディアは連立や党内対立など、目先の話題ばかりを取り上げ、視聴率や閲覧数を稼ごうとしています。 それに応じるかのように、政治家たちも支持率の上下に一喜一憂し、”見せ方”ばかりに注力しています。 しかし本来、政治家になることは目的ではなく「社会課題を解決するための手段」であるはずです。 それにも関わらず、選挙に勝ち、政治家を続けることそのものが目的化している人が多くなっています。
そして政治評論家や政治アナリスト、マスコミもまた「政治で稼ぐ」存在であることを忘れてはなりません。彼らは政治の本質ではなく、誰と誰が密会したか、どの党とどの党が連立するか、内閣不信任案がどうなるかといった政局ばかりを面白おかしく報じています。 これが「政治家の、政治家による、政治家のための政治」の構造を生み出してしまっています。
政治の本質は「社会課題の解決」である
本来の政治とは、現状の社会課題を定義し、その課題が4年・6年後にどうなっていれば「解決した」と言えるのかを明示することです。 そして任期中にその課題が実際にどれだけ解消されたか、有権者と共に定期的に確認する必要があります。 「誰が首相になるのか」「どことどこが手を組むか」といったことは本質ではなく、課題解決のための手段にすぎません。
しかし現代の政治では、その本質が完全に置き去りにされています。 内閣支持率が上がった、下がったとメディアは報じますが、そもそもその評価基準が曖昧です。「頑張っている印象」「失言をしたから」など、定性的で根拠に乏しいものでしかありません。 本来は、選挙で掲げた公約に基づき、その進捗や成果をもとに内閣や政治家を評価すべきです。
我々有権者の責任と、公約の重み
公約とは「社会との約束」です。
その約束を守ることが当然であり、それが守られなければ社会全体の信頼とルールが崩れていきます。
特に政治家は、社会のルール(=法律)を作る立場です。その政治家自身が公約=約束を守らないとしたら、誰が社会のルールを信じることができるでしょうか。 にもかかわらず、有権者もまた公約の進捗を確認せず、評価基準を持たず、印象や空気で政治家を支持・不支持していることが多くあります。 これはメディアや政治家だけの問題ではなく、私たち有権者一人ひとりの意識にも責任があるのです。
SNSとマーケティングに支配される選挙
最近では、SNSの発信力やマーケティング能力が選挙結果を左右する時代になってきました。 ターゲティング広告を活用し、演出された政策メッセージで票を集める候補者も増えています。 しかしそれが「政治のあるべき姿」と言えるでしょうか?
綺麗事を並べ、耳障りの良い言葉で支持を集めたとしても、現実の社会課題が解決できなければ意味がありません。 SNSやマーケティングはあくまで手段であり、政治家が評価されるべきは、社会課題を実際にどれだけ解決したかという「結果」です。
おわりに:本質に立ち返る政治を
政治家の仕事は、社会課題を正しく定義し、それを現実に解決することです。 選挙に勝つことや支持率を維持すること、SNSでバズることではありません。
有権者もまた、その視点を取り戻す必要があります。誰を支持するかではなく、何を解決するのか。 その問いに立ち返ったときにこそ、「政治家の、政治家による、政治家のための政治」から脱却できるのではないでしょうか。